子曰過而不改是謂過矣

子曰く、あやまちて改あらためざる、これをあやまちという

〔出典〕 『論語』衛霊公 29
〔解釈〕 過ちを犯したことを知っていながらも改めようとしない、これを本当の過ちという。

三島由紀夫氏は、武家社会が滅びたのは規範そのものが硬直化したため・・・という意味合いのことを述べていた。

江戸幕府が滅びたのは「朱子学」と「山鹿流兵法」との確執が表面化したものともいわれる。この確執は、豊臣対徳川の確執まで遡るとも考えられています。

朱子学は当時幕府お抱えの学者で相当な権力を持っていたとか・・・これも硬直化の原因でしょう。

山鹿素行は朱子学批判をしたため、幕府により浅野家お預けの身となったが、浅野家は、素行を客人として迎え入れ、城主含め皆が素行の門人となったらしい。大石内蔵助は無理だったようです。

松の廊下での吉良と淺野の刃傷沙汰は、天皇家に忠誠を尽くそうとする浅野と幕府に肩入れする吉良との争いだったとする旨もある。

淺野内匠頭長矩は、一切口を閉ざしたまま切腹したのは言い訳をすれば、幕府の家臣として身が立たず、さらに一つには天皇家に対しても臣が立たないことで板ばさみにあったためだったと考えられている。

「過つ」という動詞であれば流動的であり、誰もが通りうることだが、

「過ち」という名詞は固定化してしまう。この固定化した状態を嫌うのだろう。

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