タグ

, ,

結論は、完全に認められるものであるのに、その証明には算術の標準的形式的システムの元来の規則と公理の外部にあるような洞察が必要となる実例が数学的文献に多く見られる。こうしたことはすべて真理の判断に到達するための数学者の心的な手続きは、単にある特定の形式的システムの手続きに根ざしているのではないことを示している。

 

ロジャー・ペンローズという人が「皇帝の新しい心」という本で言ってるんですが・・・

 

前後関係が分からないと何を言ってるのかこれぞ、チンプンカンプンです。

要するに「AI(artificial intelligence)」:人工知能と呼ばれるものがあるのですが、それを揶揄しているわけです。いわゆる人工知能は「裸の王様(皇帝の新しい服)」だとバカにしているということ。

誰の目にも周知であるはずの事柄でさえ数学で形式的に表現せざるを得ないのだが、数学者はそれを洞察力によって補っている。

もっと簡単にいえば、

人工知能のプログラムを動作させるにはそれよりもっと大きなプログラムがなければならない。でなければプログラムにプログラムを作らせるなど出来っこないじゃ〜〜〜〜〜ん。

これを聞いたミンスキーは、真っ赤になって激怒するんですよね。学者は論文で戦う。今の日本の学者はアレだからからかうととても面白そうだよ。

 

コンピュータの発達で最も恩恵を受けたのは「音楽」だという人もいる。その通りだと思う。しかし、演奏家の代わりにコンピュータがコンサートを開き観客を酔わせたとは聞いたことがない。

作曲や音源の管理に一役買っただけでそれ以上ではなかった。

人工知能がよほど優れているならば、上記のごとく俺のコンピュータの方がお前のコンピュータより上手に演奏する・・・A氏が上手に打ち込んだデータとB氏が打ち込んだデータとを競わせることは出来る。だが、楽譜を読み込みそれをAコンピュータとBコンピュータを競わせても大差ない、同じ結果のはずです。(導入ソフトウエア以上にはならないという意味)

ということで演奏には楽譜を読み音を出す以外に曲に解釈を与え、楽譜の読み方に微妙な味付けをするという別途大きな意識が働いているということです。

演奏は当分演奏家に任せるしかない。

 

 

広告