『ヨーロッパ各地で50万という。肌白く、見めよき日本の娘たちが秘所丸出しでつながれ、もてあそばれ、奴隷たちの国にまで転売されてゆくさまは正視できない』

大友宗麟といえばこれも含め悪行が付いて回る

三角寛氏の研究によれば、宗麟は山窩族が古代より受け継いだサンカ文字で書かれた古文書を使者を殺して奪ったとも、だまし取ったともいわれる。そんなことをして有名な古文書の一つである「上記(ウワツフミ)」大友本を著したといわれている。人の歴史を蹂躙する連中ですから、火薬欲しさに領内の娘を拐っては外国に売り飛ばすなどお手のものだったんでしょうね。

宣教師は、元々工作員ですから、日本の国体を転覆させるのが目的でやってきました。言葉も操り「日ポ辞書」なるものも残してます。これは宣教師のやった中で唯一まともなことか。今だに一流の日本語研究の材料である。(あたしも欲しい)

ともかく学校ではザビエルは聖人とかいうが・・・・本質は工作員でテロリストである。

借りてきました ↓
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http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/50-089c.html

キリシタン大名に売り飛ばされた50万人の娘たち

フリーメイソンとキリスト教を通して、日本国家を転覆させるという企てがあった。
それには皇室内の関係者にできるだけ多くのカトリック信者をつくり、皇后様を入信させ、宮中をキリスト教で乗っ取るという策謀であった。

日本のキリスト教のことでは姉崎正治を始め、「切支丹迫害史家」のことについてふれておかねばならない。それはキリスト教が、日本で迫害されたという論説のことである。迫害という言葉は、一方的に理由なく危害を受けるというニュアンスを持った言葉であり、そのゆえに見逃すことはできない。

キリスト教の日本への渡来は、天文18年(1549年)にフランシスコ・デ・ザビエルによって始まったものである。彼らが何をしに来たかといえばその目的は、黄金の国ジパングをポルトガル王やローマ教皇の領土にするための調査であり、その尖兵として来日したのである。ザビエルはカトリック教会の母体であるローマ法王に属する一員であり、東方への渡来はジョアン3世の要請によるものであった。ザビエルはローマ法王パウロ3世から任命を受け、インドにおける法王の代理としての全権だけでなく、ポルトガルの持っていた東方植民地の官吏たちすべての上に、一切の権力を行使できる大きな権能を与えられて来たのであった。

彼はインドにおいて、人々をキリスト教に改宗させるために宗教裁判を実施し、改宗を強制し、従わない者は惨殺・焚形(ふんけい)に処した。富める者の財産は強奪して没収し、それを用いて教会を建設した。その後1549年の夏、彼は日本の首都を目指してマラッカを出帆した。彼の後から、キリスト教の各宗派の宣教師たちが渡来した。いずれもその目的はザビエルと同じである。彼らが日本においてしたことを知らない人も多いが、いずれも日本の富と国土を狙っていたのである。日本人の多くの女性を奴隷として売り渡したり、一国の領主に金を貸して領地を担保にして取り上げたりした。

歴史の教科書では単なる「島原の乱」でしかないが、これは彼らが島原の百姓たちを煽動して大乱を起こさせたのである。しかも原城に立てこもって死んだ人々の中には、この信心深い素朴な人々の自殺行為を招いた、ただの1人のイエズス会士も、1人のキリスト教宣教師の遺骸も見つからなかったのである。人々を煽るだけ煽り立てて死に至らしめ、自分たちはとっくに逃げ失せてしまったのである。

これに対し豊臣・徳川はキリスト教の布教を禁圧し、宣教師たちを国外退去させる策に出た。これが国を預かるもののやるべき当然の施策である。キリスト教がヨーロッパにおいて宗教裁判で焚形、磔刑に処したように、徳川もまた同じことを行なったのである。それを「切支丹迫害」であるとか、「切支丹殉教」などと称するのは真実ではないばかりか、それは日本人自らが口にするべき言葉ではない。

彼らキリスト教宣教師たちは、日本の金山・銀山に狙いをつけており、そのための金の堀師たちを連れて来ていた。今日でも鉱山の鉱脈の露頭(ろとう)に、掘り刻まれた十字の印を見ることができる。そこには彼らが連れて来た異人の堀り師たちが潜んでおり、同時に隠れキリシタンたちの祈祷所としても用いられていた。

いったいこの世に存在する宗教で、キリスト教ほど異端・異教の迫害・虐殺に力を入れてきた宗教が他にあるだろうか。自らを文明の宗教と言いながら、非人道的な行為の限りを尽くしてきている彼らこそが他を迫害しているのではないか。そして第三国の指示により姉崎正治が引き受けた任務が『切支丹迫害史』の編纂であった。その任務のための留学であり、そのための恩賞としての博士号の授与であった。

book 『ユダヤは日本に何をしたか』 渡部悌治著 SEIKOSHOBO

抜粋

ザビエルを聖人の位に上げようとした一人が大友宗麟であった。
宗麟は1584年(天正12年)に、イエズス会宣教師ヴァリニャーノに宛てた書簡の中で、「ザビエルの列福の儀を聖下に御建議されるようにお願い申し上げます」と書いている。吉田小五郎は『ザビエル』の中で、「彼を聖人にのぼらせたいという運動が起きたが、そのさきがけをつくったのはキリシタン大名大友宗麟その人であった」と書いている。

どうして宗麟が、そこまでキリスト教に帰依していくようになったかを知る必要があるだろう。そのためには当時、何が宗麟の周囲で起きていたかが重要な鍵となるだろう。キリシタン大名誕生の秘密に迫るとき、宗麟とザビエルが深く結びついた謎が解明される。ザビエルも大友宗麟と「商い」をしていたのである。

徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録が載っている(二版では憲兵命令で削られた)。

『キリシタン大名や小名、豪族たちは火薬欲しさに(それと引き換えに取引をし)女たちを(力ずくで)南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし』

ザビエルが「キリスト教伝来」として日本に来てから、日本は今までとはすっかり様変わりしたのである。歴史家たちの仕事が真実を知らしめることであるのなら、こうした本を引用し、キリシタン大名や小名、豪族たちの真の姿を描くべきである。ザビエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、その交換として集められた日本人女性を奴隷船に連れ込み、それを海外で売りさばいたのである。

一方そのアルメイダは大友宗麟と医薬品を取引したことで、大分に病院を建てたという事実だけが誇大に伝えられているために、大分県では彼は宗麟と並んで偉人ということになっている。キリシタン大名たちは「火薬」を獲得するために、女たちを集めて「南蛮船に運んだ」という単純な事実を、現代の歴史家たちは無視し続けているのである。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団としてローマ法王のもとに行っているが、その少年たちによる報告書を見ると、キリシタン大名たちの行なった悪行がどのように世界に及んでいるかが証明されるだろう。

『行く先々で、どこまで行ってもたくさんの日本の娘たちが目につく。
その数、ヨーロッパ各地で50万という。肌白く、見めよき日本の娘たちが秘所丸出しでつながれ、もてあそばれ、奴隷たちの国にまで転売されてゆくさまは正視できない。

鉄の枷(かせ)をはめられ、自分と同じ国の人間をこうした遠い地へ売り払う(自分たちの)師父への憤りももっともだが、白人文明でありながら何ゆえに同じ人間を奴隷にするのか。ポルトガル人の教会や(日本の)師父たちが硝石(という火薬の原料欲しさに娘たち)と交換し、(日本の娘を)インドやアフリカにまで売っているのだ。』
(『ウサギたちが渡った断魂橋』 山田盟子著 新日本出版社)

使節団としてローマを訪れた少年たちであったが、実は彼らの父親や叔父たちこそが、数十万人という日本の娘たちをキリスト教の宣教師たちと共謀して、ヨーロッパ各地へと売り飛ばした張本人であったのだ。これが、キリシタン大名や小名、豪族たちの偽らざる真実の姿なのである。キリスト教の師父たちが実は世界的売春組織のボスであることを認識し、キリスト教が何であるかを考えられるがよい。

当時日本には、30万人の改宗者がいたといわれており、現在の人口比にすれば、200万人近くであろう。キリシタン大名たちが「火薬」が欲しいばかりに、ヨーロッパだけで50万人をはるかに超える「肌白く見目よき日本の娘」を奴隷商人に売り払ったのであった。

イエズス会のバテレン(司祭)のルイス・フロイスの『日本史』の記述を読むと、大友宗麟の姿が見えてくる。この『日本史』は、1583年(天正11年)にフロイスが編集したイエズス会の布教の歴史記録である。そこにあるのは大友宗麟が織田信長に鉄砲や火薬を仲介する商人としての姿である。また信長が仏寺破壊を行なったことに、フロイスは祝意を表明している。

フロイスは宗麟にも仏像・寺社の破壊を奨励している。
その後宗麟は1561年(永禄4年)に宇佐八幡宮を焼失させ、領内の寺社を破壊した。その後、豊前彦山の三千坊といわれる坊舎を焼いた。宗麟は(イエズス会の司祭)ヴァリニャーノに、「このたびの勝利がデウスのみわざと司祭たちへの祈りの賜物である」と伝え、その報酬としてイエズス会は、宗麟の武器援助の要請に応じた。

宗麟は火薬製造に欠くことのできない硝石を手に入れ、輸入するためであれば、彼にとって豊の国の寺院を破壊したり、若き娘たちを売り払うことは何でもないことであった。日本のキリスト教信者たちは、こうした事実を直視しなければならない。天正少年使節団の報告書にあるように、「50万という肌白くみめよき日本人の娘」が売り飛ばされた。信長も宗麟も、他のキリシタン大名たちも、寺社を焼き払い、神官や僧侶たちを焼き殺した。それは「26聖人の殉死」どころの比ではない。島原の乱どころの比ではないのだ。

book 『天皇のロザリオ ㊦』 鬼塚英昭著 SEIKOSHOBO

抜粋

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