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武蔵野陵【むさしののみささぎ】

と読むんだそうです。

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かなり大きな敷地なんですね。昭和天皇と少し離れた右側には香淳皇后の同じ形で若干小型の上円下方墓があります。これよりずっと左奥には多摩陵【たまのみささぎ】があり大正天皇と貞明皇后がお奉りされています。こちらも同じ形の上円下方墓。明治天皇は、伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)だそうです。

古神道ですから、人が死んだときにはお祭りを行うんです。大喜びするんです。現世の苦しみから開放されたという喜びを皆で分かち合うというのが本来の意味。収穫の秋祭りも同じで収穫した米や野菜を皆で喜び分かち合う。この葬式や収穫などをおまつり(祭り、奉り)と呼び、取り仕切る行事を「まつりごと(政治)」といい漢字は違いますが、全部同じ言葉で表されます。元は全部同じ意味です。

天皇陛下は、これら「まつりごと」を取り仕切る人のことです。現在は、神武朝125代、明仁天皇の御世です。神武(カムヤマト)朝廷の前はウガヤフキアエズ朝廷がありました。神代七代、上古代、鵜草葺不合朝(ウガヤフキアエズ)と続いてきたわけですが・・・

寅さん風に・・・一は万物の始まり、国の始めはヤマトの国、島の始まりは淡路島、泥棒の始まりは石川の五右衛門、すけべぇの始まりはこのオジサン・・・ときた、へへへ

ヤマトの国・・・邪馬台国論争が九州と畿内に分かれている理由

ニニギノミコトが妊娠したコノハナサクヤヒメとともにアマテラスオオミカミによって九州に派遣されたからです。なぜかって? そのころ九州では南回りで海を渡ってきたタミル人と北回りで朝鮮半島を渡ってきたテュルケ族が何かといっては戦争をしていたのです。これを平定するミッションを負っていたわけです。

コノハナサクヤヒメは、九州上陸前に瀬戸内海のある島で子供を産み落とします。宮崎に上陸すると高千穂峡あたりに居を構え、タミル人の首領、テュルケ族の首領らと根気よく話し合いを続け、彼らの長男・・・やがて首領となる子供を我が子として後のウガヤフキアエズノミコトと一緒に兄弟として育てることにしました。積極的平和主義ってか。ホノアカリノミコト、ホスセリノミコト、ホオリノミコトの三兄弟です。

ある日テュルケ族の長男は、タミル人の長男より釣り針を借りて海に釣りに出ましたが、釣り針をなくしタミル人の長男に散々叱られてしまいます。仕方なく自分の剣を鋳潰して釣り針を作り・・・・これが日本書記には海幸彦、山幸彦の話として残っている。

ウガヤフキアエズノミコトは、ニニギノミコトと同様にタミル人の首領、テュルケ族の首領の長男を預かり我が子(カムヤマトイワレヒコノミコト)と共に兄弟として育てます。そのかいあって、やがて戦争もなくなり、これならヤマトに帰ってもよいということになりました。カムヤマトイワレヒコノミコト(神武)は、ヤマトの国のある東へと両民族を従えて向かいます。神武東征と云われるが・・・

つまりニニギノミコトとウガヤフキアエズノミコトは九州で亡くなったことになりますし、この間確かに正当な天皇が住んでいたので、九州朝廷説は全くの誤りとはいえません。ただし、邪馬台国とはいえない。

さて、3代続いてヤマトには天皇がいませんでした。ヤマトを守る守備隊は神武天皇を外敵と勘違いし戦争を仕掛けます。神武さんは三種の神器(みくさのかんだから)を届けさせ、自分が正当な後継者であることをようやく納得させます。ところがナガスネヒコノミコトは納得せず、同行した首領の一人を射殺してしまいます。

このままでは大きな戦になってしまうので、ナガスネヒコノミコトの首を跳ねたことにして、東北へと流してしまいます。これが青森の山内円山、もしくは十三湊あたりではないかと・・・・・想像です。

神武さんはここにカムヤマト朝廷をたて初代天皇となる宣言をしました。これが現朝廷の始まりです。ちなみに神武さんは、ウガヤフキアエズ朝廷の最後の天皇で74代です。

三角寛氏の研究にも、サンカの言い伝えに神武さんに連れられて東へきた。タタラ(フイゴ)製鉄を伝えた・・・ともありますので、山幸彦の末裔はサンカの民であろうと想像できます。鉄の精錬にも長けた彼らは薩摩隼人とも呼ばれ朝廷警護にあたることとなります。

後の話ですが、陰陽師といわれる人たちがいました。芦屋道満はタタラ製鉄の一族の長でしたが、安倍晴明とは政敵で、政争に破れた道満は、神戸の芦屋から九州の芦屋へと流されてしまいます。そして九州の芦屋にはタタラ製鉄の遺跡が多くみられます。

一方タミル人たちは神武さんの庇護の元、全国へと稲作の普及に精を出すことになります。このことがきっかけで、今だに天皇家は自身の田んぼを持ち稲作を続けています。以降は、故大野晋氏の「日本語の形成」に詳しいのでそちらを・・・

稲作を普及し、民を富ませ、地方を平定したカムヤマト朝廷が今も続いています。

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