慰安婦は【203高地】

これは戦争だ!! 支那まで慰安所云々・・・・

日露戦争時

『皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ』

と勇ましく残された言葉は、東郷総合指令長官のこれ。

しかし、慰安婦問題は、203高地、乃木将軍の戦いに例えたほうがいいと思うぞ。

203高地は、陥落が目的なら、もっと犠牲者は少なくて済んだのだとか・・・・

じゃ、何か・・・ということで、少し調べてみた・・・・

実は敵に『戦い自体を諦めさせる』ことが目的の消耗戦だったらしい。

となると、はっきり言って慰安婦だけを追い落とせばよいというわけではない気がしてきたんだね。

>近代戦における要塞戦の勝利とは保塁の取り合いではなくいかに損害を多く与え、敵に降伏を迫るかです。
>コンドラチェンコの積極策が篭城側に消耗を強いさせました。

まさしく、敵に日本へ敵対することを諦めさせることに主眼を置くべきということだ。

そのための戦術は・・・・まず、慰安婦に固執させ、要塞保塁の形やその位置を明確にしてゆく。

敵に損害を与え、守る体力を消耗させる。

そのためには事実を検証しつつ、一つ一つ丁寧に世界に向け発信する・・・・・

敵の要衝を攻撃、消耗させ、降伏させること・・・・・

慰安婦は『象徴』・・・・これを破壊し、二度と立ち上がれない状況を作り出すこと。

日本に敵対するとこうなるという範を示すことこそ重要だ。

平成の乃木~~~~!!    出てきてくれ~~~~!!!!!

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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1426187909

軍事に疎い司馬遼太郎や発行当時より関係者から「客観性が乏しい」と批判されていた「機密日露戦史」のせいで、
乃木無能論が回答者に未だ蔓延してます。

乃木一人の失敗といえば「白襷隊」を承認したことぐらいです。

第1次総攻撃の失敗
乃木第三軍は敵情偵察の結果旅順に対し正攻法で且つ十分な用意をしようとしましたが、
大本営が急かし強襲と早期攻撃を要請し、やむなく乃木らはそれに従い結果失敗したのです。
完全に大本営の責任で、乃木らに責任はありません。

最初より203高地主攻をしていたら楽に落とせた。
203高地の価値については後述しますが、この場合逆に無傷の周囲の要塞保塁と無傷の予備兵力の逆襲を受け史実以上の損害を出していたでしょう。
実際現地を見た原剛・防衛研究所客員研究員は、
「私も4回ほど203高地に行ったが最初から203高地を主攻目標にして迂回攻撃をしていたら、
203高地のロシア軍と要塞正面から進出してくるロシア軍に挟み撃ちにされる。
要塞正面を主攻目標にするのは当然の判断だと分かる」
と指摘しています。

正面からの突貫攻撃
第三軍がそうしたのは強制された第1次のときのみ。
あとは塹壕を掘って近づき兵士の損耗を抑える正攻法で攻めてます。
norman~さんの見解は史実に反します

現地部隊の対立が深刻
戦後「私は第三軍司令部に不満をもっていた」と言って後付けの様に第三軍司令部を非難している軍人は居ますが、
実際旅順戦時の第三軍を観察していた多くの外国の観戦武官や従軍記者は第三軍は、これだけの苦戦を強いられつつも軍の士気は高く軍の統制も取れており、
乃木の司令官としての統制力を高く評価しています。
現地部隊の対立云々は実際あまり深刻ではありませんでした。

203高地だけ獲って砲撃で旅順艦隊を撃滅したらいい
第三軍の作戦目的は終始旅順要塞の攻略であり旅順艦隊の撃滅ではありません。
要塞も旅順艦隊が壊滅したら降伏する訳ではありません。
艦隊が砲撃で沈み始めてから降伏するまで1ヶ月程かかっています。
第三軍が要塞攻略にこだわりすぎというのも暴論です。
作戦内容が要塞攻略である以上第三軍が勝手に要塞攻略を放棄するなどどの国の軍隊でもできることではありません。
そんな事したら中央の統制が効かない軍の暴走です。

降伏時ロ軍は抵抗可能だった
最近の調査では
開始時兵員6万3千(陸海軍)
黄海海戦等での抑留者
2千
降伏時の人員
4万6千
内病院入院者は1万8千
入院してない負傷者1万2千
よって
旅順戦での戦死者1万5千
負傷者約3万
戦える将兵1万6千

となりステッセルが軍法会議で述べた「戦闘要員は1万2千前後」という証言が近い事が判ります。
この数字は19世紀から第1次世界大戦までの要塞戦でのレコード記録であり降伏が何ら恥ずべきものではないことが判ります。
ステッセルは善戦したのです。

コンドラチェンコの評価
彼の積極策が篭城側に消耗を強いさせました。
ロ軍の損害が第三軍よりも少なかったのは第1次総攻撃のみで、後は常に第三軍はロ軍に自軍以上の損害を与えました。
近代戦における要塞戦の勝利とは保塁の取り合いではなくいかに損害を多く与え、敵に降伏を迫るかです。
いくら要塞を維持しても人員が消耗したら要塞は降伏するしかありません

長々となりましたが、
203高地作戦で拙かった事は、ありません。

203高地攻略戦は、落とすことが目的ではなかったからです。
要塞兵の消耗を強いる事が目的です。
(司馬らはそれを勘違いしてますが)

それに203高地を落としても要塞降伏に直接は何ら寄与しなかったからです。

①203高地を落として観測点を作らなくてもすでに落としている大弧山や南山破山からの観測で十分港内砲撃は可能。
(それによって艦隊に損害が出で出航が必要になり黄海海戦になったのです)

②旅順艦隊はほとんどが自沈であり砲撃による沈没はなかった事が戦後陸軍省軍務局砲兵課の調査で判明している。
(陸軍省大日記類 満密大日記 満密受第404号)
しかし「機密日露戦史」などは無視している。

③児玉が現地で203高地攻略を押したのは203高地に観測地を作る為ではない。
(児玉は終始要塞正面攻略支持で203高地攻略をアドバイスしたのは上記の通りここでロ軍に消耗を強いる為でした。
ロ軍は今まで獲られた保塁は放棄して戦力保存を続け時間を稼いでましたが、11月30日に第三軍が203高地を初めて落とすと反撃に出て翌日には奪取しました。
これを車中で聞いた児玉は、「ロ軍が203高地にこだわるのならここを取り合う事で消耗戦を強いロ軍の予備兵力を無くし要塞正面攻略を有利にしよう」
と考え急遽203高地攻略を支持したのです。
ロ軍が203高地にこだわったのはコンドラチェンコが主張したらしく、それだけでも彼の積極策が逆にロ軍を追い詰めた事が判ります)

司馬など軍事に疎い文筆業の方々の書いたことは大概が空想でフィクションです。
海外の軍事家や防衛省などの専門家の多くは、乃木と第三軍がとった一連のやり方を評価しています。
(白襷隊は評価はあまりできませんが)
専門家は、逆の評価をしていることをもっと知ってください。

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