自著作を焚き火に投げ込むか

夏目漱石と云う人は、ロンドンで精神を患ったことはよく知られています。日本に帰ってきてからは東京帝国大学で英文学を(英語も?)教えていたそうです。

この授業の内容を口述筆記ならぬノートをとっていたのが川上某と云う書生。

それを大蔵書店が印刷し、出来上がった初刷りを漱石(当時は金之助)の家に持って来ました。
ところが、漱石はそれをめくり見るなり、いきなり怒り出し、

「こんなもの燃やしてしまえ」

と縁側から庭の焚き火めがけて投げ込んだそうです。

大蔵書店の営業氏大あわてて焚き火から拾い上げ・・・・何が気に入らなかったのか・・・・

川上某君のノートそのものが全く漱石の意図したところと違っていたとか。しかし授業でやったものなら、内容は周知のはずと思うのだが・・・・

すったもんだがあって、別刷りで補稿を加えることで販売を許可したそうです。これが有名な初版本の別刷・・・高いんですよ、6万円くらいかな

後に「文学評論」を著しますが、こちらが「文学論」の真意だったとか・・・

文学論は、ほるぷ社刊の復刻版と大蔵書店の縮刷版(大正14年刊)と、文学評論も縮刷番を持っています。

漱石の文学論は、三島由紀夫文章読本と同じく、テキストマイニングにはなくてはならない教科書と思っていましたが、残念ながら文学論は難しすぎてテキストマイニングには生かしきれませんでした。

今後だれか読み解かれる方がおられるかもしれません。

文学論の内容をかいつまむと、「観念」「情緒」「観念+情緒」という3つの視点を組み合わせた分析法と、文(小説)を作る方法がかなり詳しく書かれています。

漱石はこの理論どおりに小説を書き、続々とヒットを飛ばしていたというところがすごいと思います。

そして、三島由紀夫氏は、文章読本どおりに文章を読むことで、これ又ヒットを飛ばしていた。全く尋常ではありません。

私の文章分析は、三島氏の「文章読本」に示された読み方をその数分の一程度をなんとかプログラムに置き換え特許化したものですが、文学論は難しくて断念しました。

漱石は、帝大を辞め朝日新聞に入社するのですが、当時の月給は250円で、じっと手を見ていた石川啄木も丁稚(?)でいたらしいが、給料は25円とかだったそうです。

漱石の給料たるや、当時の中学校の校長先生並みのお給料ですからかなり破格の待遇でしたね。

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