生で聞いてみたいぞ!【民謡 田原坂】

島津亜矢 X 玄海竜二

この軽演劇っぽいノリと振り付けがとっても好きです。

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雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂

右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年

春は桜よ 秋ならもみじ 夢も田原の 草枕
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途中から正調になります・・・

ここに登場する美少年とは「天草四郎」のことですね。

この人には不思議な言い伝えがあり、海の上を歩いていたとか・・・キリスト並の超能力者だったとか・・・

天草四郎の起こした「島原の乱」という農民一揆(?)には大勢の幕府軍が押し寄せました。

皆様ご存知の「宮本武蔵」もそのひとりです。あの「五輪の書」・・・もち読んでますがな。

武蔵といえば、佐々木小次郎との巌流島の決闘が有名です。
また、塚原卜伝とはナベブタ試合とか・・・これはどうやらウソのようで・・・大方講釈師がでっちあげたか。

きっかけは小次郎との一戦を控え、長刀を操る小次郎の得意な「ツバメ返し」を何が何でも破るための秘策として、ツバメより高く飛ぶため、「天狗昇飛び切りの術」を体得したかったというストーリを挿入し、人気とりのため有名人を登場させたかったようです。

忍術の元祖といわれる摂州花隈は戸澤山城の守に弟子入りした卜伝は、毎日毎夜「えぃ」「えぃ」と暇さえあれば高く飛ぶ修行に明け暮れ、とうとう軒先くらいの高さまで飛ぶことができ・・・つぅと山城の守の前にひれ伏すと、とうとう飛ぶことが叶いました。一重に先生のご指導の賜物・・・

もっとも小次郎は小太刀の名手だったんで、長刀を使ったかどうか・・・怪しい。
しかも、小次郎は当時すでに老人だったとの噂もあるし・・・
小次郎が老人で小太刀なら、武蔵の使った櫂(かい)の木刀で充分楽勝に勝てたはずです。ずるいぞ武蔵!!

武蔵の初陣は、「関ヶ原の合戦」ですが、最後の陣は、この島原の乱でした。面白い人生でしたねぇ。

石垣を登ろうとして転げ落ち、足を挫いて戦線離脱だったらしい。

みっともねぇ・・・

ってか、当時武蔵も結構なご老体なんでね、20~30kgもある鎧兜着けてたんじゃ身動きもままならなかったかもしれません。

ということで、草枕した天草四郎は、反逆者として名は出せないが、住民のよき理解者として今も親しまれているという唄でした。

もっとも火薬欲しさに村の娘たちを拐ってきてはポルトガルユダヤ商人へと売り飛ばしていた悪大名への反乱だとする向きもある。なぜなら、この反乱には有馬・小西両家に仕えた浪人や、元来の土着領主である天草氏・志岐氏の与党なども加わっていたらしいので・・・

ということなら、人身売買の悪党を懲らしめた天草四郎は、英雄であり、地元の守り神だったという気持ちを込めた唄なのかもしれない。
拐われ親とも引き離されて、海外へと売られて行った娘たちの心情や如何・・・

しかし、ユダヤ商人なんてものはろくでもない連中だなぁ・・・・つくづく・・・

民謡 田原坂

2012/04/08

西南戦争(薩軍と官軍との戦い)田原坂の決戦で勝敗を決します。
この歌の発生についてはいろんな緒説があるそうです。

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