サラセン人の食い物

今日は麺類の話

蕎麦、うどん、パスタ・・・3食これでもいいくらいに好きなんですねぇ
朝は盛りソバ、昼うどん、夜はパスタで・・・たまらん一日です。考えただけでよだれが・・・・

蕎麦では、更科(さらしな)蕎麦が日本で有名ですが、他にも達靼蕎麦なんてのもある。

蕎麦自体は、正倉院のころシルクロードを伝わり日本にやってきたものです。

「韃靼人の踊り」とかボロディンの有名な曲もあり、これは舶来ものだろうと即わかりますが、更科は漢字で書いてあるので一見日本古来かと思わせます。しかし、実は輸入品です。

伝来当時はサラセン人の食い物という意味で「サラシーノ」と呼んでいました。それを「更科」と当てたわけです。悠久の時を超えいまだに同じ単語が使われるなんて、と思っていたら・・・

北イタリア辺りではいまも、「Pasta di Grano Saraceno」とかいってパスタの麺として料理します。とてもおいしそうです。「saraceno pasta」でググって、画像を見る。

Saraceno
こちらもサラセン人の食い物として伝わったもので、こっちはSaraceno(サラシーノ)がそのまま使われてます。日本でもそうですが、やはり飢饉の時など痩せた土地でも育つ蕎麦は重宝されたに違いありません。

よほど有難かったのでしょう。イタリアにもすっかり定着していますね。

同じ単語が遠くはなれた両地域で時を超え同じように使われていたなんて・・・・すばらしい

タルタルソースというのがあるが、これはタタール人(韃靼人)の料理です。

韃靼人は今どこに・・・・東トルキスタン(ウイグル)からモンゴル辺りに住んでいる人たちがそうです。

トルコにはその昔大勢で日本に渡った集団がいると小学校で教えているそうです。世界最古の鉄の精錬跡というのがトルコで確認されていますが、その技術を持って日本にやってきたと思われます。われらの仲間を弾圧する支那人は許せん。(言語的にも膠着語族で仲間です)

三角寛氏の研究では山窩の民が日本に鉄の精錬技術を伝えたらしいことを述べています。有名な「たたら」製鉄ですが、「たたら」は山窩コトバで「ふいご」を意味するとか・・・・

この辺も今後大野晋氏ばりの言語研究を待たねばなりませんが、日本列島には古文書と云われるものが諸外国に比べ多く存在するといわれます。興味のある方々には是非解読をお願いしたい所です。

あたしゃ、サラセン人じゃありませんが・・・・サラシーノは大好き!!

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E7%A7%91_%28%E8%95%8E%E9%BA%A6%E5%B1%8B%29

「更科(さらしな)」は、蕎麦の産地である信州更級(さらしな。現長野市の一部)に保科家の「科」の文字を組み合わせたもの。なお、信州更級は当時よりソバの産地であったため、他にも「さらしな」を名乗る蕎麦屋は存在していたようである。
       ↑
   私はこの説には疑問を持っています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%90

ダッタンソバ(韃靼蕎麦、学名:Fagopyrum tataricum)は、タデ科ソバ属の一年草。強い独特な苦みがあるため苦蕎麦(にがそば)とも呼ばれる[1]。ダッタンソバの食品名は、モンゴルに住んでいた遊牧民族である韃靼人(ダッタン人・タタール人)が好んだことに由来する[2]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB

タタル(Tatar)という語は、テュルク系遊牧国家である突厥(とっけつ)がモンゴル高原の東北で遊牧していた諸部族を総称して呼んだ他称であり、テュルク語で「他の人々」を意味する[1]。その最古の使用例は突厥文字で記した碑文(突厥碑文)においてであり、「三十姓タタル(オトゥズ・タタル、Otuz Tatar)」や、「九姓タタル(トクズ・タタル、Toquz Tatar)」という集団が登場する。このうちの三十姓タタルは中国史書に記されている室韋(しつい)に比定されている。まもなく中国側もテュルク語のタタルを取り入れ、『新五代史』や『遼史』において「達靼」,「達旦」などと表記したが、これは他称ではなく、彼らの自称であるという[3]。

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