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古代道路を探す II

さて先日、漢字の読みから地図を探ってみたのだが、いまひとつ思わしくない・・・・

まず、探すといっても、机上の空論をフル回転させることが先だ。これには日本語のスキルが必要。

順序が逆になるが、古い方を見てみよう。

東海道を探す場合、関東平野がほぼ海に被われ、遠浅で沼地だったといわれているところを考慮しなければならない。

だから、続日本紀では「相模国」→「夷参駅」→「店屋」→「武蔵国」→「乗潴」→「豊島」→「井上(千葉)」

というルートだった。

相模国
夷参駅(いさま)
店屋駅(みせや)(たなや)(まちや)
武蔵国
乗潴駅(のりぬま)
豊島駅(としま)
井上駅(いのうえ)

これが最も古い東海道と考えられる。この時代を境に徐々に海が干上がっていく。

相模国・・・平塚市四宮あたり
浜田駅(はまだ)
店屋駅(みせや)(たなや)(まちや)
小高駅(おだか)(こだか)
大井駅(おおい)
豊島駅(としま)
井上駅(いのうえ)

大山街道(国道246号)というのがあるが、これが次に古い東海道であろう。

宮前区の小台のあたりはかなりの高台になっており、「宮前平」付近(国道246号あたりの後ろ)は、入江になっていたようである。
この宮前あたりには馬の餌となる稗が群生していたらしい。また馬絹には着物が流れ着いたというところから命名されたそうだ。

さらに時代が下る800年くらい前となると、国道45号の脇が波打ち際だったといわれている。
千年という地名の近くの子母口富士見台あたりに「橘樹神社」がありその少し下が波打ち際であったと説明があった。

ここには「日本武尊が船で浦賀水道を渡ろうとしたとき嵐になって弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投げて嵐を静めた。」
という伝説のこの弟橘媛の着物が波打ち際に流れ着き神社に奉納されたらしい。少し行くと断崖になっていた。

今はかなり山の方であるが、そのうち水没した場合このあたりまで海になるんだろうかと思った。
ようするに、今が平常なのか、異常なのか分からないので異常なら平常に戻る。平常ならまた異常な時が来ると思わずにはいられない。

この中原街道(国道45号)は少し後の東海道で、国道15号が現在旧東海道で知られる道ということになる。

という風に海が干上がるに連れ街道は、海側へ、海側へと移されていったことがわかる。

ということで、延喜式に記載のある

浜田駅
店屋駅
小高駅
大井駅
豊島駅

のルートは、国道246号(大山街道)から国道45号(中原街道)へ繋がる道が考えられる。

大井駅は現在の大井町というより、洗足池の近くというのが合理的かもしれない。

そこから先は判定が難しいが、国道1号を北上し、六本木を経て飯田橋、駒込、宮ノ前あたりが豊島駅か・・・

こんな順路が想定されるが・・・

つづく・・・・・

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